あぁ、また深い言葉に出会ってしまいました。
本当は、以前この本は読んでいたので、再会したというのが正しいのですが。
以前、とても感銘を受けた本をぱらっと開いてみました。
仏の教え ビーイング・ピース―ほほえみが人を生かす
この方の教えとして
人生が困難であり、時によっては微笑することが難しくても、私たちは微笑するように努めなければなりません。
とあります。
ある意味納得できますが、一方で「そうは言っても」という気持ちも正直あります。
そして、やはりティク・ナット・ハンの友人から尋ねられます。
「悲しみに満ちている時、どうして無理に微笑することができるでしょうか。そんなことは不自然です。」
うんうん、そうですよね。
この後の、ティク・ナット・ハンの言葉が私にとっては衝撃的でした!
長いので一部だけですが・・・
「その悲しみに向かって微笑することができるはずです。
なぜかといえば、自分は悲しみより大きいからです」
たしかに・・・。 感情は自分の一部でしかありません。
もちろん、自分の中に沸き起こってきた感情を、抑圧して無視してしまえ!というのではありません。
その感情を認め、受け入れてあげながら微笑むということです。
それは確かにそうだ、と分かっていたのですが、この言葉
「自分は悲しみより大きいから」
というのはなかなか素敵な言葉だと思いませんか?
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はっとしました!
そうですよね、悲しい感情は
自分の感情の一部。
感情自体も自分の一部でしかないんですよね。
心がすっと軽くなる一言ですね(*^▽^*)
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>寺嫁TERAKOさん
さすが仏教を勉強されている、というかお寺に嫁いだ方は、すぐに感じていただけますね。私もこの一言を読んだ時、心がすっと軽くなりました。