性善説、性悪説と言うものがありますね。
善悪二元論
X理論、Y理論
など、ちょっと違いますが似ているところもありますね。
そもそも二元論ってどうなの?
っていう話は今回は置いておきます。
そして、何を善とするか、何を悪とするかというのも価値観の問題ですが、今回はそれもいったん置いておいて、
俗に言う「性善説、性悪説」
について。
それぞれ意見や立場はあるでしょうが、私も常々考えていたのを先日また聞いたので、メモを兼ねて書いておきます。
もちろん、これまでの流れからして、私が性悪説を支持すると思っている方はいないと思いますが、
基本的に、人間の基本的欲求である、安全安心欲求であったり、十分に愛されている、自分に価値があると信じられる状態になっていれば、これらが十分に満たされていれば「善」である。
これらが、小さい頃から十分に満たされていれば、「悪」とみなされているようなことが表れてくることはない。
NLP的に言っても、「悪」と呼ばれているものは、ニューロロジカルレベルで言えば、あくまでアイデンティティや信念・価値観(、能力)、行動(、環境)レベルでの話ですよね。
そして、これらのものはいずれもいろんな方法で変えることができます。
であるとすれば、人の本質が「悪」であるとはどうしても考えられないですね。
ですから、表にあらわれている「問題」にとらわれずに、その人の本質を見てみましょう。
これも、先日の記事で書いたラビングプレゼンスと通じますね。
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