久しぶりの更新です。
といっても、本に載っていた話を紹介するだけですが・・・
ゲイ・ヘンドリックスの「センタリング・ブック」という本に紹介されていた「砂の話」というストーリーです。
特に私が感じたこと・考えたことを書くわけでもなく、ただただ紹介します。
読まれた方がどう感じるか、考えるかにゆだねたいと思います。
ただひとつ言いたいことがあるとすれば、このストーリーが正しいかどうかはどうでもよく、いろんな人がいろんな考え・感じかたをすることに意味があると思いますので、それぞれの受け取り方で受け取ってみてください。
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川は、ぶくぶくと白い泡を立てながら、砂漠に着きましたが、砂漠を渡ることはできないということに気づきました。
水は、細かい砂の中にどんどん消えていってしまいます。
川は、大きな声で言いました。「私は、この砂漠を渡りたいのですが、どのようにして渡ったらいいのか、わかりません。」
砂漠の声が、隠された自然の言葉で答えました。
「風は砂漠を渡ります。だから、あなたにも渡れるはずです。」
「でも、渡ろうとすると、私は砂の中に吸い込まれてしまいます。全速力で砂漠にぶつかっても、ほんのわずかな距離しか進めません。」
「風は、砂漠の砂に全速力でぶつかることはしませんよ。」砂漠の声は言いました。
「でも、風は飛ぶことができますが、私はできません。」
「あなたの考え方は、まちがっています。自分の力で飛ぼうとするのは、ばかげたことです。風にあなたを運ばせるのです。」
「でも、どうしたらそんなことができるのですか?」
「自分を風に吸い込ませるのです。」
川は、そんなふうにして自分の存在を失いたくないと言って、反対しました。もしそんなことをしたら、二度と存在することができなくなるかもしれません。
その声は言いました。「風は、水分を吸い込むと、砂漠の上を運んで行き、ふたたび、雨として水分を落とします。雨は、ふたたび、川になるのです。」
「でも、それがほんとうだということは、どうすればわかるのでしょうか?」川は尋ねました。
「これはほんとうのことなのです。信じなければなりません。
さもなければ、あなたは、砂に吸い込まれて、数百万年の後に、沼地になるしかありません。」
「でも、もしそれがほんとうだとしても、私は、いまと同じ川になることができるでしょうか?」
「どちらにせよ、あなたは、いまと同じ川であり続けることはできません。
それに、この選択は、あなたにまかされているのではありません。
選べるように見えるだけなのです。風があなたの本質を運んでくれるでしょう。
それは、あなたのすぐれた部分なのです。あなたが砂漠のかなたの山々でふたたび川になったとき、人々はあなたを違う名前で呼ぶかもしれません。
でもあなたの山々でふたたび川になったとき、人々はあなたを違う名前で呼ぶかもしれません。
でもあなた自身は、本質的に同じ自分であることがわかるでしょう。
いま、あなたは、自分を何々川と呼んでいます。
それは、その川のどの部分が、いまでもやはり、自分の本質であるかを、あなたが知らないからなのです。」
そこで川は、迎え入れてくれる風の腕の中に昇って行き、砂漠を渡りました。
風は、川をゆっくりと、ていねいに集めて、高いところに引き上げました。
それから、遠い山々の頂上に、やさしく、しっかりと降ろしました。
「いま、私は、自分のほんとうの正体がわかりました」と、川は言いました。
しかし、川は、疑問に思っていることがありました。それは、飛んでいるときにわいてきた疑問でした。
「私はなぜ、これを自分で考え出すことができなかったのだろう?
もし、砂の言うことに耳を傾けなかったら、どうなっていただろうか?」
突然、小さな声が、川に話しかけました。その声は、一粒の砂から聞こえてきました。
「砂だけが知っているのですよ。砂は、それが起こるのをこれまでずっと見てきたからなのです。
その上、砂は、川から山までずっと続いています。
砂は、結び合わせる役目を果たしているのです。
すべてのものが果たすべき役割をもっているように、砂も、もっているのですよ。
生命の流れが、その道のりをどのように旅してゆくか、そのありさまは砂の中に書かれるのです。」
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