過去世にとらわれない
昨日、シータヒーリングのセミナー、実践会、ワークショップ等で3回ほど立て続けに会った方と交換セッションをしました。
これまで、セミナー・実践会など以外での交換セッションとかにはあまり積極的ではなかったのですが、最近ちょっとやってみようと思っていた矢先、かないました。
あまり「この人と交換セッションをしたい!」という人はいなかったのですが、この方は”なんとなくいい感じ”がして、実現しました。
セミナーや実践会では時間が限られているので、そこまでわからなかったのですが、結果的に、とてもすばらしいセッションをされる方でした。
他にもいろいろヒーリングやら心理療法などを学ばれている方で、某ヒーリングスクールで、誰にでもなれるわけではないタイトル(資格?)を授与されている方でした。
セッションの話はおいておいて、セッションの途中の雑談で、過去世の話になりました。
お互いに意見は一致していて、
「過去世というものはあるだろうし、意味もあるけれど、そこに囚われるのはどうもね・・・」
私は、シータヒーリングのセッションをする中で、あまり過去世を見に行ったりせず、過去世を重視していません。
アナトミーを受講していたときには、過去世が流行っていた(?)ので見てましたが、通常はあまり見ません。
もちろん、どうしても過去世っぽいものを見せられるときがあるので、それは伝えたりはします。
が、積極的に
「クライアントさんが抱えている問題の過去世を見せなさい!」
などのコマンドはほとんどしません。
さて、「過去世に囚われる」についてですが、例えば恋愛の問題で悩んでいる人がいるとします。
今付き合っている彼との間がうまく行っていない、という問題を抱えている場合。
「じゃぁ、過去世を見に行きましょう」
と言って、その彼と過去世で何かあったかを見に行きます。
そうすると、
・過去世で親子関係にあって生き別れたので、後悔の念が残っている
・過去世で彼が上司で、私が部下でいじめられていた
・過去世で夫婦だった
などの過去世が見えたとしますね。
そこで、
「やっぱり私と彼とは過去世で色々あったんだ!」
で、
「そんな因縁があったのだから、この人が運命の人だ!」
あるいは
「そんな因縁があったのだから、この人とうまく行くわけがない!別れよう!」
などの反応がありえます。
でも、私たちが思っているのは
「袖すり合うも他生(= 過去世)の縁」という言葉もあるくらいなので、今世で関係している人は、過去世でも何らかの縁がある場合がほとんど。
その上で、その人との問題で過去世を見に行っているので、何かあっても不思議じゃない。
しかも、例えば過去世が100回あったとして、それぞれの人生で人間関係にまつわるドラマは100回ずつあったとしたら、それだけで10000ものドラマがあるわけです。
その中の、ひとつのシーンだけを見に行って
「過去世に因縁(いいものも悪いものも)があったので、この人が運命の人だ」
などというのは、ちょっと違うかなと。
10000分の1に過ぎない、という面でもそうですが、そもそも過去世の人間関係を繰り返すために今世を生きているわけではないので、今世で新しい人間関係を作って楽しめばいいのではないかと。
その後、ソウルメイトの話とか、”赤い糸”の話などにも発展し、そちらに関しても「そこにこだわるのはどうしたものか・・・」という話で盛り上がりました。
ということで、
過去世での人間関係を含めた問題があったとしても、シータヒーリングなどでその過去世を癒したり、問題となっているエネルギーが自分の中にあるのであればそれを解消すればいい
そして、過去(世)にフォーカスして生きるのではなく、あくまで「今を生きましょう」というエントリーでした。
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